過剰包装からゴミを減らす
日本はゴミ大国
日本が「ゴミ大国」と言われているのをご存知だろうか。
「環境省のデータによると、日本人のゴミの焼却量は、1年間に1人あたり320㎏。2位のフランスが180㎏、3位はドイツの140㎏と、なんと日本がダントツのトップ!実にヨーロッパの環境先進国の10倍以上の数字」という事実。「さらに、ゴミ焼却炉の数は、日本が他国を大幅に引き離して1243、2位がアメリカで351、3位がフランスで188」(参照:不用品回収センター)。これでは「廃棄大国」と呼ばれても仕方がない。
ここでの「ゴミ」は一般ごみを指すが、中でも私たちが着目したのは「過剰包装」によるゴミの量。時折「ここまで包装しなくても良いのになぁ・・・」と感じる方も少なくないのではないだろうか。丁寧に個別包装されたお菓子、小さなガムを一つ購入しただけでももらえるコンビニのビニール袋、簡単なお土産にも一つ一つ個別の袋をつけてくれる。ちょっとした贈り物でも、日本では相手に渡すものである以上、包装には気を使う。「過剰包装」には日本人らしい気遣いや美徳が現れている気もするが、環境の観点から考えると、地球に優しいとは言えない。
なぜ過剰包装をするのか
まず、私たちなりに「過剰包装」の理由について、少し考えてみた。
①便利。小分けに包装されていれば、好きな時に好きなだけ食べられるし、誰かにあげることもできる。(→持ち運びたい時は、必要な分を容器に入れるなどの対応が可能。そうすればゴミを出さずに済む)
②清潔。きちんと包装されていると、外部に触れる部分が少なく、衛生的にも安心。(→心理的な安心感はあるものの、お菓子が個別包装されていない理由で食中毒は考えにくい)
③相手への礼儀を示す。コンビニなどで、機械的にレジ袋に入れるという行為。包装に凝る必要のない小さなお土産でも、わざわざキレイな袋に入れて渡すという行為。(→元は相手を尊重する気持ちから生まれた行為かもしれないが、本当に必要なことだろうか。長い目で見て、本当に人や地球を思いやった行為だろうか)
「過剰包装」には日本人ならではの気遣いや価値観が現れているのかもしれない。その価値観や神経の細やかさは、誇れることでもある。しかし、上記3点においては、地球や人にとっての長期的影響を考慮した行為であるとは言い難い。異常気象や汚染問題などを通して地球がシグナルを出している今、一度立ち止まり、私たちの行動を見直す必要があるのではないだろうか。
私たちにできること
とは言え、もう既に、「過剰包装には反対、コンビニでは極力袋をもらわないし、マイバック持ち歩いてます」という方もいると思う。もしくは「環境問題が大変なのはなんとなくわかるけれど、自分1人で取り組んだところで影響は少ないし、ちょっと面倒」と思っている人もひょっとしたら多いかもしれない。
長期的に見て、地球、ひいては私たちにとってプラスになることを実行するには、新たな環境やルールを社会が作るというのが、やはり最も影響力が大きいのではないだろうか。そこで、私たちは「フリーバックを設置する」ことを考えた。
これは原点回帰の発想で、日本に古くから伝わる風呂敷を活用するアイディアだ。一枚の風呂敷で、小さな荷物も大きな荷物も包むことができ、使わない時は小さく畳むこともできる万能アイテムである。風呂敷を、街全体で使える様に計画することが肝要だと考えている。
街の至る所に、回収ボックスを設置し、使い終わったらそこへ戻し、必要な時は誰でもそのボックスから取って使うことができる。概念は、どこからでも乗れ、どこにでも乗り捨てられる「自転車シェアリング」の様なものである。
ゴミ削減は長い道のりだが、やはり、過剰なゴミは減らしたい。そのために、私たちはできることから計画→実行していく。
SDGs目標:11.住み続けられるまちづくりを/12.つくる責任、つかう責任